2012年10月25日木曜日

大学院はやめません。

大学院を中退することは全く考えておりません。どんな状況になっても、大学院は2014年の1月には修士論文を提出して、修了いたします。一旦決心した以上は、最後までやり抜くことが重要と考えるからです。

実は大学院の後期の履修の申請を、締切の約1時間前に完了したその翌日に補欠選挙の実施を知りました。何人かの方から、大学院はどうするのかとのご質問がありました。結論としては、1年の後期の履修は大部分を止めるか聴講に変更いたしました。ただし、2014年の1月の修士論文提出に必須の「政策ワークショップⅠ」と小池百合子先生の「「気候環境安全保障論」は通期で履修中で、約半分の授業が終わっているため、このまま継続履修することにいたしました。したがって、月曜日と水曜日のうち、月に2~3回は、大学院に通うため市ヶ谷に通学することになります。順調に進めば修士論文提出(「政策ワークショップⅡ」8単位)の他、残りは10単位であり、2年次に容易に取得できます。

補欠選挙については現在、慎重かつ冷静に状況を把握しながら、活動すべきことを着実・確実に進めている最中です。いろいろな選択肢と結果が考えられます。
①補欠選挙に立候補する。→当選する。
②補欠選挙に立候補する。→対立候補に善戦して落選する。(約2年後の通常選挙に立候補の可能性が高い)
③補欠選挙に立候補する。→対立候補に惨敗して落選する。(政治活動を断念する可能性が高い)
④補欠選挙での立候補を見送る。→約2年後の通常選挙に立候補する。
④補欠選挙での立候補を見送る。→2年後の通常選挙にも立候補しない。(政治活動を断念する。)
これらのいずれの結果になっても、学業は継続いたします。

学業との関係で、一番考えなければならないのは「①補欠選挙に立候補する。→当選する。」場合です。市議会議員はプロですので、仕事を最優先に考えなければなりません。しかし、大学院の時間割を見ますと、土曜日や、夜間にも多くの授業があります。これらの課目を履修することで、残りの10単位は履修可能ですし、修士論文提出のための指導はフキシブルにしていただけるようです。しかも、修士論文のテーマは「羽村市における安全・安心のまちづくり」の予定です。市議会議員の仕事をしながらも十分に研究できるテーマと考えています。過去にも、市議会議員や、社会人が働きながら大学院を修了しており、1年間の両立は可能と考えています。

2012年10月13日土曜日

羽村市議会議員補欠選挙

2013年4月の羽村市長選挙と同時に羽村市議会議員の補欠選挙があります。予定していない出来事です。今、冷静な判断が求められています。

授業の関係で9月議会の傍聴は3日目(9.10)からでした。日本共産党の倉田学議員が欠席でしたが、怪我でもしたのだろうと気にも止めませんでした。補欠選挙の噂を聞いたのは9.21。しかしまだ本気にしませんでした。議員辞職は死亡するか、警察に逮捕されるか、くらいしか考えられないからです。あれ!と思ったのは9.28の9月議会の最終日を少し傍聴した時に倉田議員の名札から名前が消されていたのを発見した時でした。選挙管理委員会に行って事実確認をすると、9.20の本会議で議員辞職が許可され、補欠選挙があることを告げられました。

帰宅後、調べてみると、欠員が出ても定数の6分の1超、羽村市の場合は、定数が18人ですから4人の欠員が生じなければ補欠選挙になりません。唯一の例外は同じ自治体の長の選挙がある場合に補欠選挙になるそうです。羽村市の場合、たまたま市長選挙と市議選挙が2年ずれているため、補欠選挙になるのです。市長選挙と市議選が同時に行われる多くの自治体では補欠選挙はまずありえませんし、欠員が生じても国会議員選挙や、都議会議員選挙では補欠選挙はありません。本当にレアケースで補欠選挙になるのですね。なお、繰り上げ当選は次点落選後、3ヶ月以内の欠員の場合です。

補欠選挙の存在を知った当初は前向きに考えましたが、今は冷静かつ慎重に検討しています。前回の羽村市議会議員選挙で、私は714票で次点でした。当選者の最低得票数は805票でした。しかし12年前にあった羽村の補欠選挙は3人が立候補し、当選者は7906票、次点が6752票でした。立候補者は2名の場合を考えると、1万票近くの票をいただかないと当選できません。10倍です。1万人近くの人に「高田」という名前を記憶していただき、投票用紙に「高田」と書いていただくことは至難の業です。

今、補欠選挙に立候補すべきか否か本当に迷っています。前回選挙の時も随分と顔と名前を売り込んだつもりでしたが、その後、私が立候補したことを初対面で知っている人はほとんどいませんdした。それほど知名度を上げるということは容易でないことを思い知りました。

多くに方から慎重に考えるようにアドバイスをいただいています。立候補をするか否かの最終判断は来年になってからにしますが、それまでは、普通の1人の羽村市民として、或いは1人の大学院生として活動することが重要と考えています。

2012年9月14日金曜日

久しぶりに献血をしました。


40歳台の後半だったと思う。献血を極端に嫌う「自分」がイヤになった。献血をしたからと言って死ぬわけではない。とわかってはいたが、やはり「決死」の覚悟で、人生初めての献血に挑戦した。200ccであったが、小さな自信になった。



2年半ぶりに献血をしました。9月11日(火)に小作駅前で献血が実施されたので、15:30の終了直前に参加しました。103番目だそうです。献血ができる健康体に感謝します。
今回の献血では初めて、体への負担を感じた。朝からゆとろぎの友永詔三展のギャラりー当番を3.5Hした後、市議会傍聴を1.3H、15:06はむらんで小作駅前に戻り、すぐに献血…とフルスケジュールであったこともあろうが、その後の買い物と夕食作り、ふるさと祭りのそーらん練習は、明らかに頭脳が働かなかった。

献血者へのライオンズクラブからの贈り物のクジャクアスターの鉢植えが少しずつ咲き始めた。

2012年9月3日月曜日

羽村市総合防災訓練


9月2日(日)に羽村市総合防災訓練があり、地元の訓練に参加しました。毎年、少しづつメニューが変わっているのは重要なことと思います。私も実際に放水を体験することができました。

今年8月1日から我が家(小作台3-15-3)の防災行政無線が明瞭に聞こえるようになりました。家の窓からスピ-カーが見えるほど近くに子局が増設され、これまでは内容が聞き取れない状況でしたが、解消されました。本当にありがたい話と心から感謝しております。
9時の放送を受けて、基本に忠実にテーブルの下に身をかがめ、ガスの元栓を確認後、一時避難場所であるくすのき児童公園に集合し、広域避難場所である小作台小学校に移動しました。訓練は消火器、三角バケツ、簡易担架は昨年と同様でしたが、今年は昨年と違った点が3点ありました。

①中学2年生が多数参加したことです。実際に発災時の戦力として、また、意識と教育の面で大変重要なことと思います。来年以降も是非継続実施していただきたいと思います。

②体育館でパーティション(段ボール式とカーテン式)の組み立てが中学生中心に実施されたことです。私たち一般人は校庭での訓練終了後に完成した状態を見学しました。時間の都合とは思いますが、一部を実際に組み立てる実演やパーツの簡単な説明などが欲しかったと思います。或いは、組み立てるに時間がかかるのなら、分解を一般人が作業するだけでも相当に理解度が向上すると思います。ひと工夫欲しかったと考えます。また、家庭用の小型ガスボンベによる発電機も展示していいて、私も点灯体験してみましたが、ごく少数の方のみの体験で終わってしまったのは残念でした。

③放水訓練が学校の南側消火栓を使って、実際に体験させてもらいました。従来は消防団の方が道路に放水しただけでしたが、今年は校庭までホースを伸ばし、私も体験しました。脇を締め、筒先を腰に密着させると、水圧はそれほど高くはなく、小学校低学年未満を除けば誰にでもできるという感覚でした。

私は今、大学院での研究テーマを「羽村市の安心・安全な街づくり」にすることを検討しています。防災意識を高めるために、防災訓練は重要です。実際の災害時は「自助」「共助」です。「公助」はそのあとの話ですので、もっと多くの方に参加してもらう方法を真剣に検討すべきと思います。

2012年8月21日火曜日

五輪パレードとツタンカーメン展

昨日(20日)、五輪メダリストの銀座パレードと上野で開催中のツタンカーメン展に行ってきました。どちらも人・人・人・人・人・人・人・人は共通項でしたが、もう一つ、自分の心の中での共通項があるのです。

JR四ツ谷から丸ノ内線で銀座でおり、銀座線のコンコースを歩き、トイレに寄って地上に出ると、10:35に銀座4丁目に出られ、ここまでは順調でした。人がいっぱいで中央通りの舗道は既に5列程度の人垣。5、6丁目の方がすいているとの案内で移動したのが、失敗でした。一つ脇道を歩いたら、もう戻れない。結局8丁目の最終地点の先を目指したが近づけない。少し戻って、銀座8丁目の交差点で完全に身動きできなくなりました。

11:17に周辺が騒々しくなり、カメラをビデオ機能にセットして、右手を上げて撮影開始。2階建てバスの上のメダリストが見えるが、早すぎる。なでしこの川澄選手とバレーの木村選手がわかった程度で5台のバスはあ!という間に通過する。ビデオ録画時間は2分弱でした。

夕刊でオープンカーが先頭を走ったことを知った。50万人のうち、ほとんどの人が見れなかったはずだ。JOCの予測能力と気配りの低さが気になる。

この後、新橋から上野に出て、上野の森美術館に12:00に着く、入場券2700円を買って、整理券13:30~45をもらう。持参の昼食を食べ、上野公園内を散歩。ここは何十回も来ているが、意外と知らないことを発見して、有意義な時間を過ごせた。整理券方式はありがたかった。

13:45音声ガイド(500円)を借り、入場する。写真撮影禁止。ゆっくりと回ってツタンカーメンのカノポスや、副葬品を見学して、次はいよいよツタンカーメンの黄金の棺と思いきや、「出口」。中学生の時、父に連れられて来た「ツタンカーメン展」の時は、確か黄金の棺があったような気がする。がっくり!気持ちを整理して、展示目録(2500円)を購入して帰路に。途中、隣の日本芸;術院が入場無料で開放されていたので覗く。上野から小作に戻り、帰宅する。すぐに夕食作り。2週間ぶりに免許合宿から帰宅する息子のために「海苔巻きと稲荷」を作る。

自分の中学生時代最大の思い出は東京オリンピック。学校行事として国立競技場に入った。あれから、私はオリンピックの熱狂的なファンです。2020年の東京オリンピック開催を期待しています。五輪パレードとツタンカーメン展の共通項は、自分の心の中ではどちらも「中学生時代の思い出」の再現だったのです。

2012年8月11日土曜日

大学院は甘くなかった③

大学院の前期履修が一応終わり、授業はほぼ皆勤賞でした。単位認定のためのレポートが6本、試験が1回、レジュメ+発表が1回でした。成績はまだですが、期末集中のやりくりは大変でした。

授業はほぼ皆勤賞でした。休んだのは3回、5月14日(月)と7月2日(月)は羽村市男女共同参画会議出席のためです。18:05に佐々木先生の授業が終わっても、19:00からの会議に間に合いませんのでお休みにしました。もう1回は4月17日(火)11:00からの礒崎先生の授業です。当初、火曜日の午前中は履修せずに、「いこいの里」で書道と水彩画を学ぶ予定にしていたためです。遅刻は交通遮断などで3回くらいありました。早退はゼロですが、授業が大幅に遅れての途中退出はありました。

単位認定のためのレポートは提出期限順に①幸田先生「地方自治制度論」7.26(5000字)、②礒崎先生「政策法務論」7.31(8000字)、③④佐々木先生「自治行政論」8.4(5000字×2本)、⑤佐藤先生「リスク管理」8.6(A45枚:約8000字)、⑥朝日先生「基礎経済学」8.10(A4枚数自由:目安2枚~6枚:5600字書いた)でした。反省点の一つは甘いスタートです。5000字とか8000字の論文というのは、やはり、まずテーマの中の論点を考え、データを集め、ストーリーをある程度まで構成してから書き始めないと、途中で行き詰ってしまいますね。

試験は礒崎先生「行政法基礎」7.24。かなり事前学習したつもりでしたが、最悪でした。テキストからの出題でしたが、選択2問中の1問はどこの部分を回答すべきかがわからず、頭の中が真っ白。61年間にいろいろな試験を受けて来ましたが、こんなに答案が書けなかったのは初めてです。もう1問はヤマが外れました。

レジュメ+発表は梶先生の「地方財政論」7.24にレジュメを提出すると、先生からコメントの返信があり、それを補足して、7.28に発表しました。授業前に1時間半、先生とのフリートーキングがあり、テーマ(地方財政の課題と対応-東京都羽村市の財政状況を中心に-)について深堀りしていただきました。授業後は懇親会。少人数の大学院ならでは…ですね。

原田先生、酒井先生、増尾先生の「政策ディベート」は4月から準備作業が大変重い授業がでした。しかし、最後の授業7.28は5分間の発表でした。今回は5分ちょうどで終わるように、原稿を作成し、事前練習もして臨みました。本来は原稿なしで5分程度の話はできなければならないので、今後の課題です。

昨日でレポートの提出が終わり、今日から夏休みです。ブログも集中的に更新していきます。

2012年7月10日火曜日

大学院は甘くなかった②

「大学院は甘くなかった」のブログの続きです。見通しが甘かったための弊害が地域活動で出てしまいました。
その一つが「いこいの里」の「いきいき講座」の挫折です。

羽村市に高齢者在宅サービスセンター「いこいの里」という施設があり、無料で開催している「いきいき講座」は60歳以上が受講条件ですので、60歳になったら、片端から受講すると何年も前から決めていました。

募集は年に1回で4月スタートです。広報はむら2月15日号に受講生募集の記事が掲載されたので、私は早速申し込みました。10講座の内、最終的に受講できたのは「水彩画」と「水墨画」で火曜日の午前中にそれぞれ隔週で開講されます。火曜日の午前中の大学院の授業を履修しないつもりでしたが、なんと人気No1のI教授の講義と重複してしまいました。熱心でバイタリティがある素晴らしい先生で、院生に圧倒的な人気があります。私も当初、指導教授にと考えましたが、来年度、1年間、欧州に研究に行かれ、修論指導は受けられないということで、断念しました。修論がまとまるかどうか不安な状態で1年後に指導教授を変える不利益は大きいと考えたためです。そのI先生の授業は今年履修しないと、来年は教われません。中大の公共政策を出ていて、先生を知らないと「もぐり」になってしまいそうです。

「水墨画」はもう18年も前ですが、講師をしていただくO先生にわずかな期間習っていました。「水彩画」も5年くらい前に別のグループで今回の講師、S先生に短い期間、教わったことがあります。いずれも、多少ですが、経験があり、少々休んでも何とか両立できると考えていました。「水彩画」も「水墨画」も一旦やめてしまうと、再開は難しくなります。やはり何かの会に入るなりして、継続していないとダメと強く感じていたところでした。時間があれば、自分で画くというのは、私の意思力では無理です。今回は何が何でも再開したいと考えていました。しかし、水彩画・水墨画をしながらの大学院はすべての面で無理があったと今も思います。

迷った末、授業を優先し、「いこいの里」はキャンセルしました。大学院を本当に甘く見ていました。水彩画のS先生と水墨画のO先生始め、関係者や、抽選に外れた方には、本当に申し訳ないと思っております。S先生とO先生にはお詫びの葉書を書きましたが、本当に失礼なことをしたと思っています。だいぶ信用を落としたと思います。関係者の皆様、ごめんなさい。

同じく「いきいき講座」の別枠で、「社交ダンス」と「マジック」の講座も申し込みました。こちらは大学院での授業より、「いきいき講座」を優先し、金曜日は大学院に行かない決意で臨みました。しかし、大学院は甘くなかったです。お休みにしたつもりの金曜日も大学院でのグループワークや他の地域活動でなかなか出席できません。丁寧に指導していただいたW先生には申し訳ありませんが、現在「休会」しています。

…というわけで、「いこいの里」の「いきいき講座」に挫折してしまったことを反省の意味を込め、書きました。

地域活動は今、ほとんど活動できません。水曜日午前中の「ゴーゴー健康クラブ」、木曜午後の「シニア小作台西の囲碁」や「弓道会」は皆休会中です。小作台西町内会の7月14日(土)の盆踊りも参加できるのは最後の30分だけです。

どんなに多くの地域活動を犠牲にしても大学院は修了します。大学院は本当に甘くはありません。7月は試験やレポートが集中します。自分が選んだみちです。どんなに苦しくても前進あるのみです。

追伸:中央大学 大学院 公共政策研究科のホームページ「在学生の声」に私の拙文が掲載されています。ご覧下さい。
http://www2.chuo-u.ac.jp/daigakuin/koukyo/contents/zaigaku1.pdf